ワンパンチで敵が殺せてしまうということ
俺は強くなりすぎてしまった。
定石通りの退屈が俺を襲う。
どんな敵も一撃で殺せてしまう。
昔はそんなことはなかった。いくらでも自分より強い奴らがいた。戦うたびにそいつらにうちのめされ、地面に顔を突っ伏した。そのたびに「クソっ!いつかはお前らより絶対に強くなってやる!」負けるたびに自分の中の血潮が熱くなるのを感じた。そう思って鍛錬に鍛錬を重ねてきた。それこそが人生の味わいのひとつだと信じてきた。
だけど今となっちゃぁ敵なしである。恐怖も驚きも痛みも感じなくなってしまっているのだ。
俺は退屈している。(金持ちが退屈しているように)
持てるものは何故このように退屈してしまうのだろうか。ワンパンマンの悩みは深刻である。
爛熟期の平安朝の貴族たちが有閑を持て余していたとき、19世紀のフランスの詩人たちが爛熟した文明に倦怠を催していた時、彼らは「退屈」を感じていた。
しかし詩人や画家などの芸術家にとって「退屈」は必要不可欠のものだった。その哲学は「健康からは芸術は生まれない」というものだった。
今で言えば奥田民生なんかがその「退屈」を曲がりなりにも武器にして歌っている。「さすらい」という歌はそれを如実に表している。反抗らしい反抗はしない。「風の先を眼で追うこと」が彼らの仕事となった。
それは21世紀に於いてもっとも贅沢な仕事であった。
「またワンパンで終わっちまった。くそったれーー!」 サイタマは血湧き肉躍る闘いを求めてこれからも趣味でヒーローをやっていくだろう。
あるいは喧嘩商売における佐藤十兵衛は何故戦うのか。I.Q170の彼が何故そこまで喧嘩にこだわるのか。