コンビニ人間

 主人公は奇妙な人間である。例えば公園で死んでいる青い鳥を見つけて「焼き鳥にして食べよう」と母親にせがむ。この世間の「常識」から大きく外れた感性を持つ主人公はそれ以来「普通」になることを自分の生きていく方針としていく。

 この物語で言う普通というのは結婚であったり、就職であったりする。世間は普通でない人間を排除するから主人公は自分を生き延びさせるために自分の歪んだ癖を矯正して世間一般の「普通の人間」になろうと努力する。

 現代は普通であることを強要する。普通であることは即ち、コンビニの店員として世界の一部として、その歯車の一部として回っていくことなのだ。

 主人公はそこに安心を抱く。普通の感覚から言えば主人公は変態である。普通の人間は男の子の喧嘩をスコップで殴って止めないし、学校の先生のパンツを下ろしたりしない。

 主人公は「変」であることがどういうことかもわかってない。ただ命令を待っている。その命令の中で主人公は調和した自分を探している。 

 作者は一体何が言いたかったのだろう。アイロニーを込めて現代社会の歪さを描きたかったのだろうか。

 現代は普通であることが困難だろうか。普通でないことの方が困難に決まっている。