「人生は退屈だ」と言う前に

 人生はよく川に例えられる。その流れが停滞すれば見える景色というのはいつまでたってもそのままで動いてはいかない。 そしてそんな停滞した景色を見て人は言う。「退屈だ」と。

 私の知人はいつも「退屈だ」とよく言う。仮にaとしておく。何より顔がそれを物語っている。彼は世間の動向について詳細に知っているが、それについての自分の考えを表明したことがない。いわば彼には言語によるロジックがなかった。彼は大衆の1人だった。もう1人の私の知人仮にb はそんなaを嫌悪した。

 「貴様は何もしてないじゃないか。それじゃ退屈で当たり前だ」

 bは世界に参加した。いろんなことに首を突っ込んで世界を拡張するすべを知っていた。新しいことに挑戦し、それを極めた。そして新しい出会いがあった。彼の毎日は旅のようであった。毎日が新鮮で、いろんなことを発見し、感じられた。退屈など彼の辞書にはなかった。 

 bは自分をひとつの実験体だと私に言った。すべては認識のためなんだ。と彼は私に力説した。彼は最近ヨガを始めた。ヨガの起源、歴史、体系などを私に語って聞かせた。そしてその得た知識経験なりを何かに結びつけようとしていた。彼は音楽もやっていたのでヨガの経験をいかした曲をつくった。それは良い歌だった。物語詩のようであった。