奥田民生の「無」

 平成生まれの私は最近恥ずかしながら奥田民生を聞いた。その印象は「無」を志向する柔らかな反逆だ。そのルーツは東洋的な無の境地なのだと私は信じている。私たちは会社で働いて、上司に頭を下げ、同僚と出世競争を繰り広げている。そんないざこざなしにほとんどの人間は悲しいかな、生きていくことができないのである。私たちは「無」に憧れる。私たちが未だ何も生み出さなかった世界へ。無垢の世界に。

 

『さすらい』

「♪さすらおう この世界中を

転がり続けて歌うよ 旅路の歌を

 

周りはさすらわぬ人ばっか

風の先の終わりを見ていたらこうなった

雲の形を間に受けてしまった」

 

私たちは社会に出てやがて「風の先の終わり」をみることを忘れて、社会に啓蒙され、結婚して、ローン3000万の家を買ってローン地獄に陥って世俗に流されていく。そうやってシステムに依存し、取り込まれて生きていくことになる。それがこの世界の常識である。偏見である。

 詩人的に生きるということは雲のように生きることなのだ。彼は自由を尊ぶ。彼は働かないし、正義も振りかざさないし、ましてや戦争などもってのほかだ。彼はあらゆる価値を信じない。卑近で言えばワンパンマンのスイリュウの生き方だ。彼はヒーローとして生きることを拒み、「自由」のために武術を習い、強くなり、気が向いたら賞金稼ぎのために武闘大会に出場する。